[直感]で生きていくと言うこと
ブログを書くのは何年ぶりだろうか。
もう、誰もこのブログを読んでいないかも知れない。
それでも、久しぶりに[綴りたい]と、感じたから、書こうと思う。
僕は、高校を卒業してからずっと無意識あるいは、意識して直感でここまで生きてきた。
直感とは、理由や根拠のない「やりたい」「行きたい」と言う僕たちを導いたり守ってくれる本能(魂の声)だ。
その直感を目の前に、ごちゃごちゃした理由付や論理的な言葉は力を持たない。
ただただ、感じているのだから。
それが故、直感には必ず「何か」ストッパーが付いてくる
生きることが本能の生き物、人間のある一種の防御反応とも言えるそれは
直感で感じていることを、実際に行動する上で感じる現実的・物理的な不安や恐怖である事が多い。
その防御反応を乗り越えて、僕たち人間は、自分がやりたいこと・歩むべき道へ進むことができるのだ。
いわば、試練、テストのようなものである。
だが時に、防御反応ではない依存がストッパーになることもある。
それは愛とも呼べるかも知れない。
前途でも述べたように、直感は僕たちを導いて守ってくれるもの。
それが時には悲しい事でもある。
悲しくて、寂しいから色々な理由を見つけて一緒に居られる方法や手段を考えるが
直感(魂の声)を目の前に、それらは力を持たないのだ。。。。
僕はここまで直感で生きてきた
自分の魂に嘘はつきたくなかったからだ。
だけど、僕はここ数年間ずっと嘘をつき続けてきたのかも知れない。
その深すぎる悲しさから無意識に逃げ続けて、嘘をつき続けてきた。
向き合うべき事は、目の前に居るにも関わらず、その先を。遠くを見ようと、何かを見つけようと探し続けてここまできた。
だが、時はきた。
それと向き合わずに、どうやら僕はもう、進む事ができないようだ。
それもそうだ。直感が伝えてきているんだ。
直感を前には、どんな言葉も力を持たないのだから。
直感は、最強無敵だけど、時に悲しく愛おしい選択もしなければいけない。
僕は今、その分岐点に居る。
人は、常に悩み、解決し、楽しんで、悲しんで生きていくのだろう。
生きよう。もがこう。
あなたが、あなたを、見つけるその日まで*